護符と霊符と、お守りと。

護符とは?霊符とは?お守りとは?開運方法として、金運アップの効果はどうなのか?呪い返しや生霊対策にも使えるの?

護符・霊符

護符とは?種類や纏わる人、宗教を知り効果を高めよう

投稿日:2017-01-11 更新日:

護符とは、どうったもので、どのような効果をもたらすのか。霊符、呪符といった様々な呼称があります。呪いを返すものから、開運、金運、恋愛運、人間関係、悩み解消、家内安全、疫病を防ぎ、災いや、災害、天災からも守るもの、様々な効果をうったています。be continued

 

 

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護符とは

神仏が加護して種々の厄難から逃れさせるという符。

紙に真言密呪や神仏の名や像などを書いたもので、
肌身につけ、 また、 飲んだり、 壁に貼りつけたりしておく。

さまざまな呼び方があります。
術者や道士、宗派、研究者によっては、
護符は、災いを避ける予防的なもの、
呪符は、すでに被っている災厄を除き福を招くもの、
霊符は、術者の念が込められたもの、
など、区別する場合もあるようですが、コレといった指針はありません。

わたしは、字面と音の響きが気に入っておりますので、護符に統一しております。

ただ、「鎮宅七十二道霊符」を、
意味が同じだからといって「鎮宅七十二道護符」に
変えるようなことはしておりません。

ふんわりした考えですが、字面と音の響きです。

 

護符の効果

努力は全てが報われるわけではありません。

“運”とは怖いものです。

あなたに才能があり、いくら努力をしたとしても、
運によってその才能や努力が押しつぶされることがあります。

だからこそ、護符が必要となるのです。
本人の力だけでは抗いようのない 運の流れを反転させるために。

そして、人の心は脆いものです。

努力できることが才能なのではなく、
努力を続けることができるのが才能だと言われています。

心に決めた目標があるのに走り続けられない。
あの人のことを想うも、ついつい駄目かなと頭をよぎって弱い心がでてしまう……

誰かの恨みを受け、呪われていると感じるときは、
その相手より貴方の念力、思念がかなり弱まっていると言われています。

そんな弱い心や想いを、途中で折れることのない、より強い一本の槍となるように、
頼りになる添え木となり貴方を支えるものだと考えております。

 

呪い返しとは?

呪い返しとは何か?呪いや呪詛をかけられたと感じるときに、そもそも呪いや呪詛は誰がかけ、どのようなものなのかを知ることも重要です。

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呪い返しが必要な理由

人の直感は鋭いものです。

貴方が呪いをかけられていると感じた時、
思い過ごしではなく、本当に何者かに呪いをかけられている可能性が高いです。

通常の状態であれば、【呪い】【祟り】【呪詛】といった言葉は頭に浮かびません。
それなのに、それらの言葉が貴方の頭のどこかに引っかかり、離れない。

一刻も早く、呪い返しを行うことをお勧めいたします。

本来、気力、体力、念力、思念が充実していれば、
呪い返しを行うにも特別な物は必要ありません。
無意識の内に呪い返しのようなことを行い、
呪いを跳ね返し、かけられた呪いは自然と相手へと返ります。

しかし、呪いをかけてくる相手の怨み、呪う力が強く、
相手より貴方の気力、体力、念力、思念が弱まっていると、
その呪いをすべて受けてしまうこととなります。

特に、その相手が呪符や呪術、黒魔術などを使っていると、かなり厄介で、
ご自身だけの力だけでは対抗できません。
呪い返しの護符や法が必要となります。

最近何をやっても上手くいかない、どういうわけか悪い目がでてしまう、
原因不明の体調不良や病、理由のわからないまま様々な災いや凶事に見舞われるとき、
貴方は怨敵や怨霊の呪いを受けているのかも知れません。

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呪う、呪いとは (のろう、のろいとは)

呪い返しや呪詛返しを行う前に。
”呪”という字の成り立ちを知ることで、より一層、術の力を強めることができます。
「儿」は「ひとあし」と呼ばれて、人の姿を表しています。
儿(ひとあし)の上に口をのせれば「兄」という字になります。

「口は確かにのちの時代に『くち』の意味で使われるようになる字だが、
漢字の生まれたての頃の『口』は『くち』という意味ではなかった」白川静

では、この口は一体何か。これは「神さまへの願い事を入れた器(箱)」なのです。

今私たちは願い事を「絵馬」に書いたりしますが、同じようなことを古代中国の人びとは器(箱)に入れてお願いしていたということです。
祖先をまつる大切な役目を負う人こそ「兄」だったということです。
兄さんは家族の願いを込めて神様にお願いをします。それが神様に聞き届けられると喜ばしいこと=「祝いごと」となります。「祝」という字の中に兄があるのは「神さまにお願い事をする役目をする人」が兄だからです。

しかし、時には、よからぬことを願うこともあります。それが、「口・篆文(さい)」をもう一つ加えた「呪」という字です。

呪うことも兄の役目だったのかと妙に納得するかもしれませんが、しかし、兄の名誉のためにひと言。正確にいうと「呪う」の古い意味は「のろう」ではありませんでした。お願い事の「口・篆文 (さい)」を二つも入れてあるこの字は「祈いのる」というのが本来の意味でした。後世、「のろう」の意味で使われるようになりましたが、兄が呪いの願い事をしたわけではありません。「呪いの力」と書いて「呪力」といいますが、本来は「祈りの力」という意味です。【白川静のラジオ第25回

①恨みのある人などに不幸な事が起こるように神仏に祈る。また,そのようなことを心の中で願う。
②強くうらむ。(A)

人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらせしめようとする行為をいうのだ。

神道の常識がわかる小事典
「いのり(祈り)」と「のろい(呪い)」
「いのり」という語には幸福を願うだけでなく、「のろう」「呪訳する」という意味も含まれている。 …

【”呪”という字の成り立ち 知恵袋】
兄の場合...
「口」=「くち」です。
「ル」=入のような形で、ノが手、レが体と足、...「ひざまづいた人」の形です。
「兄」は、「口」と「ル」で、「神おろし」をする「巫女」の意味になります。
「口」を付け、「人に災いを下すことを神にいのる」「呪う(のろう)」の意味にしました。

呪詛まとめ

〔古くは「しゅそ」「ずそ」とも〕 恨みに思う相手や物事に災いがかかるように祈ること。のろうこと。特に人が人を呪い殺すために行うものは、古来日本では呪詛(じゅそ/ずそ/しゅそ)、あるいは調伏(ちょうぶく)といわれることもあった。日本では既に死んだ人・動物や神霊がなす呪いを特に「祟り」と呼び分けることが多い。(A)

神秘的、超自然的な方法によって他人に災禍を与える行為、およびそれに関連した観念、信仰の体系をいう。呪術の一部を構成したり、それと密接な関係があり、その観点からまじないとよぶこともある。ただし呪詛という場合、呪いのことば、まじないのことばの使用に力点が置かれることが多い。
呪詛の方法としてよくみられるのは、神などの霊的存在に祈願する方法である。これは、霊的存在がもつ神秘的な力を利用するのであるが、そのほか呪詛者自身がもつ呪的な力による場合、呪詛の行為全体そのものが効果を生じさせると考える場合もある。(F)

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呪いの主、生霊

生きている人の怨霊で、恨みのある他人にとりついてたたりをするといわれるもの。いきすだま。⇔死霊。(B)

生きている人の恨みや執念が怨霊となって人にたたるもの。いきすだま。 ↔ 死霊(A)

人に憑く人間霊のうち、生きた人の霊。これに対し死霊は、死者の霊が憑くことをいう。憑き物現象の憑依霊の一種。
ある人が、友人などに対し、ねたみ、そねみ、恨み、憎しみなどの激しい感情をもっていると、その人の霊は肉体から遊離して相手に取り憑いて苦しめ、ときには殺すこともできると考えられていた。

『源氏物語』で、六条の御息所の生霊が葵の上の臨月の衰弱につけこんで苦しめた話は有名である。

『今昔物語』にも、離縁した妻の生霊が普通の姿をして深夜に前夫の家を訪れ、戸が締まっているのに、すきまから入り込み、前夫を取り殺した話がみえている。取り憑かれた側では、祈祷師などに頼んで、呪法でこれを落とそうとする。(F)

呪いの主、死霊

死者の霊魂。生霊の対語としても使われる。
死霊とは人にとりついて祟りをする怨霊のこと。(C)

肉体から遊離した死者の霊魂。 ↔ 生き霊(A)

死者の霊魂。また、死者の怨霊。(B)

死者の霊魂のこと。一般に生者は死霊に対して恐怖心をいだくことが多く、その扱いによってはなんらかのたたりをなすものと信じられている。人が死ぬと霊魂は肉体から離れるものと考えられているが、日本では息を引取ると死霊を再び肉体に呼戻すために、魂呼ばいを行う(D)

死者の霊魂で、アニミズムの主要な構成要素。〈しりょう〉ともいう。身体に宿り、これを生かしている生命原理としての霊魂が、その宿り場を離れたり戻ったりするという遊離魂、脱魂の観念をもつ民族は多い。病気や失神、夢などは霊魂の身体からの離脱と解され、死は霊魂の永久離脱とされる。死者の霊魂である死霊は、身体から独立した存在として存続するが、この間に他界観と関連した諸儀礼が行われることが多い。すなわち、死霊は親族・縁者の供養をうけ続けることによりしだいに死穢を脱し、祖霊化して同一集団の祖霊群の仲間に入り、子孫を守護する存在になるとされる。(E)

出典 A(大辞林) B(大辞泉) C(広辞苑) D(ブリタニカ国際大百科事典) E(世界大百科事典) F(日本大百科全書) W(Wikipedia)

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護符まとめ

神仏が加護して種種の厄難から逃れさせるという符。紙に真言密呪や神仏の名や像などを書いたもので、肌身につけたりしておく。まもりふだ。(C)

災厄から身を守り,幸福を招くと信じられているお守り札。神仏の像や名,真言や梵字などの書かれたものが多い。身につけたり家の内外に貼ったり,飲み下したりする。おふだ。お守り。護身符。護摩札。ごふう。秘符。呪符(じゆふ)。(A)

神仏の名や形像、種子 (しゅじ) 、真言などを記した札。身につけたり壁にはったりして神仏の加護や除災を願う。お守り。ごふう。呪符 (じゅふ) 。(B)

各種の災厄をよけ,幸運をもたらすと信じられている物体のことで,呪符ともいう。現代の日本でみられる例には,自動車や身につける交通安全や学業成就などの〈御守(おまもり)〉や家の柱・門などにはり付ける〈御札(おふだ)〉,客商売の家や店に置く〈招き猫〉などがある。災いを未然に避ける予防的な護符amuletと,すでに被っている災厄を除き福を招く積極的な呪符talismanを区別する学者もいるが,両者の区別は必ずしも明確でなく,両者の意味をともに含むものも多い。(E)

ごふうともいう。御符(ごふ)、神符(しんぷ)、御守(おまも)り、御札(おふだ)などという。多く紙片に神仏の名号や形像、呪文(じゅもん)、経文、密教の種子(しゅじ)、真言、神使(しんし)とされている動物などを書いた御札をいう。これを所持しておれば神仏の加護が得られ、災禍を避けることができるという。家の中の神棚に掲げたり、家の入口に貼ったりする。牛王(ごおう)宝印などのごとくこれを飲んだりもする。(F)

将来生じるかもしれない災厄を予防するために,呪力を帯びたものとして身に着けられる小さな物。ひとたび呪力が与えられれば,普段は祈願されたり,特別視されたりすることはほとんどなく,したがってその働きは自動的であるので,しばしば呪符と区別されることがあるが,現実にはそれほど厳密な差異はみられない。(D)

災厄を防ぐ神秘的な力があるとされる印標。聖句や宝印(牛王(ごおう)宝印)のほか動物・植物・鉱物の小物体を用い,秘符,呪符,霊符ともいう。日本では陰陽師,仏僧,後には神職が作製配付した。(G)

 

護符・霊符の種類

土御門家霊符
天帝尊星八十六霊符
北極紫微大帝六十四霊符
天星三十六秘符
霊宝神仙八景真神二十四玉符
五帝神君十一真符
天真坤元十二霊符
十二神将秘符
本命七星の霊符
二十八宿の真符
鎮宅七十二霊符

などなど、様々な種類がございます。
上記の符は特に著名なものです。

この中でも無二の霊験のあるといわれている鎮宅七十二霊符の由来。

漢の時代、易学や風水術にたけた帝の目で見て凶相の家なので不思議に思い、家の主人に尋ねたところ、「ハイ、およそ三十年前に不思議なことがございました。こんなやせた土地柄ですので、住むものも居らず、食うや食わずの生活でしたが、ある日二人の見慣れないきれいな人等が立ち寄り空腹を訴えますので、ありあわせの粗末なものを与えましたところ、思いの外喜ばれまして、これをお祀りなさいと、七十二枚のお守りをいただきました。
心打たれるところがありましたので、大切に神棚にお祀りしましたところ、お二人が云われた様に十年もすると家は豊かになり、人々が寄りつくようになりました。そして二十年も致しますと子供たちが沢山の子に恵まれまして、ひなびた里も賑わうようになったのでございます。
そして今日は三十年目の年に当たり、あのお二人が云われた通り白衣の天子様のご来訪の栄を賜りました。ちんたくさんのお陰でございます。」
主人は劉進平と云う人で、孝文帝は七十二符を謹写し都に持ち帰って陰陽師に命じて諸国に玄武を祀らせ、鎮宅霊符神を勧請して盛んに霊符を発符して人々の幸せを希いました。【堀越神社】

 

陰陽道

古代中国の陰陽五行説に基づいて、天文・暦数・卜筮・相地などをあつかう術。大宝令に規定があり、陰陽寮ががおかれたが、次第に俗信化。(C)

古代,中国の陰陽(いんよう)五行説に基づいて,災異・吉凶を説明しようとする方術。天文・暦数・卜筮(ぼくぜい)などを扱った。日本には六世紀頃伝えられ重要視されたが,特に平安時代以降は神秘的な面が強調されて俗信化し,避禍招福の方術となった。平安中期以降,賀茂・安倍の両氏がつかさどった。おんみょうどう。いんようどう。(A)

日月星辰の運行や方位をみ,特殊な占法を用いて国家・社会や個人の吉凶禍福を判じ,あらゆる思考や行動上にその指針を得ようとする諸技術をさし,これに関連する思想・理論も含まれる。中国古代,夏・殷(商)王朝のころに発達し,周王朝の時代に完成した。いわゆる易と称するもので,その代表的な典籍が《周易》である。その思想・理論の中心となるのは陰陽(いんよう)五行説で,日月と木火土金水を万物生成の主要素とし,これに十干十二支の説が結びつき,それらの複雑な組合せから歳月日時方位に占星的価値がつけられ,天文・暦法が加わってここに原始的科学知識が成立した。(D)

中国古代の陰陽説、五行説のうえにたつ信仰的思想。宇宙万物は、陰(マイナス)と陽(プラス)との組合せによって生成するものであり、その変転は木(もく)、火(か)、土(ど)、金(ごん)、水(すい)の五原素に基づいて推進されるという、一種の自然哲学ないし自然科学であり、東洋的な人生観、世界観に大きな影響を与えた。これが中国大陸から朝鮮半島を経て日本に伝えられた。
陰陽道の思想的基盤となったものは、陰陽五行説であるが、この抽象的な思想は、易(えき)の思想と結び付くことによって具体的な占術となり、日本古来の卜(ぼく)法とともに並び行われていた。そして純粋な学問というよりは、むしろ現実的な生活の指針として重んじられるようになった。(E)

陰陽道(おんみょうどう)は、陰陽寮で教えられていた天文道、暦道といったものの一つ。これら道の呼称は大学寮における儒学を教える明経道、律令を教える明法道等と同じで国家機関の各部署での技術一般を指す用語であり、思想ないし宗教体系を指す用語ではない。「おんようどう」「いんようどう」とも。古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説を起源として日本で独自の発展を遂げた呪術や占術の技術体系である。(W)

 

陰陽師

令制で,陰陽寮に属し、卜筮・相地などの事をつかさどった職員。後世は民間にあって加持祈祷をなす。(C)

律令制で,陰陽寮に属して陰陽道にかかわった職員。中・近世には民間で加持祈祷をする者を称した。おんみょうじ。(A)

陰陽寮に属し、占筮 (せんぜい) ・地相判定などをつかさどった人。おんみょうじ。(B)

陰陽道に基づき,卜筮(ぼくぜい),天文,暦数をつかさどり,吉凶災福を察知し,その対処のための呪術作法を行い,疾病治療などに技術的知識をもったもの。(G)

陰陽道に基づいて卜筮 (ぼくぜい) ,天文,暦数を司り,疾病治療などの知識ももった者。大宝令では,陰陽寮に6人,大宰府に1人がおかれたが,のち鎮守府や武蔵,下総などにも陰陽師がおかれている。(D)

「おんようじ」ともいう。大宝令(たいほうりょう)の制で陰陽寮や大宰府(だざいふ)に置かれた方術専門の官人。占筮(せんぜい)や地を相して吉凶を知ることをつかさどったが、平安時代になり陰陽寮のつかさどった天文、暦数、風雲の気色をうかがう方術を陰陽道とよぶようになると、陰陽師もそれらの方術を使う者すべての名称となった。平安中期に賀茂忠行(かものただゆき)が出てこれを世業化して賀茂家というが、子の保憲(やすのり)系統は暦道を中心とし室町中期から勘解由小路(かげゆこうじ)家、ついで幸徳井(こうとくい)家とも称した。忠行・保憲の高弟の安倍晴明(あべのせいめい)の流れは天文道を主とし、室町中期以後は土御門(つちみかど)家という。これを求めたものは古代の貴族層のみならず、中世以後は武家、近世になると庶民にまで広がった。[下出積與](F)

陰陽師は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指すが、それら官人が後には本来の律令規定を超えて占術や呪術、祭祀を司るようになったために陰陽寮に属する者全てを指すようになり、更には中世以降の民間において個人的に占術等を行う非官人の者をも指すようになり、声聞師と重ねられることもあって「声聞師」と呼ばれる場合もあった。中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者を称し[1]、中には神職の一種のように見られる者も存在する。(W)

 

安倍晴明

安倍晴明神社(大阪)】 安倍晴明公は古代豪族安倍氏の出で、伝説では平安時代の 天慶7年(西暦944年)3月辰の刻に阿倍野に誕生せられ、又一説では延喜21年(西暦921年)ともいわれている。 幼名は「安倍童子」、資性英明で学問を好み、京都に上がり陰陽家賀茂忠行とその子息保憲に師事し、陰陽推算の陰陽道を修め、天文博士、陰陽頭(オンミョウカミ)、播磨守等を歴任して、従四位上に叙せられました。

晴明神社(京都)】 安倍晴明公(920-1005)は、孝元帝(こうげんてい)の皇子・大彦命(おおびこのみこと)の御後胤で、幼い頃から非常に多くの道に秀でておられました。特に、天文暦学の道を深く極められ、神道を思いのままに操る霊術をも身に付けられておりました。成人されてからは、天文陰陽博士としてご活躍。天体を移り行く星や雲の動きを観察し、宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当てられ、朝廷を始め多くの人々の信望を寄せられたと伝えられています。晴明公は、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。村上帝に仕えておられた際には、唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれ、帰国後、これを元に日本独特の陰陽道を確立されました。今日、私たちの日常生活の基準となる年中行事や暦術、占法は皆、この時に創られたものです。
そして、一条帝に仕えておられた寛弘2(1005)年9月 26日、85歳でお亡くなりになりますが、晴明御霊神として祀られた後も、我が国の陰陽道の祖として広く世の中の尊敬を集めます。「晴明公にお祈りすれば、不思議な霊の利益を受けることができ、さまざまな災いから身を守り、病気や怪我が治る……」。そうした評判が、今も多くの人々に語り継がれています。

立石熊野神社】 長保年間(999)阿倍仲麻呂の曽孫・陰陽博士安倍晴明が紀州那智熊野において、華山上皇に従い山ごもりを終え、熊野の大神勧請の旅中、たまたま中川の清流のこの地を清浄なる聖地として選びました。陰陽道の五行説の五行にかたどり、境内を三十間五角とし、五方山熊野神社と名付け、紀州熊野三社権限を鎮祀し、神代の石剣を御神体としました。

平安中期の陰陽家。識神(しきしん)を用いてよく異変を予知したといわれ,伝説が多い。土御門(つちみかど)家の祖。著「金烏玉兎集」など。(A)

平安時代中期の陰陽家。安倍益材の子。賀茂忠行,保憲父子から陰陽道を学び,保憲から天文道の奥義を授かった。大膳大夫,左京権大夫,天文博士などを歴任。その家が土御門の北,西洞院の東にあったため,その子孫は土御門家と呼ばれ,長く陰陽家として栄えた。(D)

平安中期の陰陽家。天文博士。天文を見てあらゆることを予知し,識神(陰陽師が術を用いて駆使する神)を駆使したと《今昔物語集》などで伝える。(G)

921-1005 平安時代中期の陰陽師。
延喜(えんぎ)21年生まれ。讃岐(香川県)の人という。天文道を賀茂忠行(かもの-ただゆき)・保憲(やすのり)父子にまなび,天文博士,主計権助(かずえのごんのすけ),大膳大夫(だいぜんだいぶ),左京権大夫を歴任。占いの名声はたかく,「今昔物語集」「大鏡」「宇治拾遺物語」などにその説話がのこっている。土御門(つちみかど)家の祖。寛弘(かんこう)2年9月26日死去。85歳。著作に「占事略決」「馬上占」など。【日本人名大辞典】

 

蘆屋道満

安倍晴明のライバルといわれることもある方。
これから、徐々にまとめていきます。

平安中期の陰陽家。藤原道長のころ、安倍晴明と法力を争ったと宇治拾遺物語にある。生没年未詳。(B)

平安中期の陰陽家(おんようけ)。安倍晴明と術くらべをしたと伝えられる人物。のち浄瑠璃などに脚色された。生没年未詳。(A)

人形浄瑠璃。時代物。竹田出雲作。1734年初演。通称「葛の葉」。和泉国信太(しのだ)の森の白狐が女に化けて安倍保名(あべのやすな)と契って安倍晴明を生んだという伝説を脚色したもの。四段目の「子別れ」が有名。【浄瑠璃 蘆屋道満大内鑑

蘆屋道満が実在したとする物証は一切なく、安倍晴明との呪術合戦も創作物語以外には見られない。江戸期に著された『播磨鑑』に播磨国岸村(きしむら)出身の民間陰陽師との記述があるが後世の作のため信憑性に欠ける。藤原顕光に仕えたとの伝承もあるが、藤原顕光は父の関白藤原兼通の威光で左大臣となった人物で、儀式の度に失態を繰り返し悪霊左府、無能の極みと蔑まれた。蘆屋道満とは安倍晴明を際立たせるために創作された架空の存在と見做されることが多い。

平安時代中期の伝説上の陰陽師。藤原道長に呪いをかけて安倍晴明みやぶられ追放されたといい,また晴明と術くらべをして敗れ弟子となり,のちそむいたともされる。この話は「古事談」「宇治拾遺物語」「十訓(じっきん)抄」などにみえ,浄瑠璃,歌舞伎などに脚色された。名は道摩とも。【日本人名大辞典】

平安中期の法師陰陽師。道摩ともいう。安倍晴明と術くらべする人物として登場することが多い。《古事談》《宇治拾遺物語》《十訓抄》に,道摩法師が藤原顕光の命で藤原道長に妖術をしかけるが,道長の犬と晴明に見破られ,本国播磨国に追放されたと伝える。《峯相記》《東斎随筆》に同じ説話が見え,道摩を道満に作る。《簠簋袖裡(ほきしゆうり)伝》(室町末ごろ写,竜門文庫蔵),《簠簋抄》(1629)に,道満は晴明と術くらべをして敗れ,晴明の弟子となる。(E)

 

修験道

修験道とは、我が日本民族独自の精神文化に体系づけた日本国独特の宗教であり、顕密両経の妙味を自在に消化し、自ら独自の教えを形成し、その心を産み出した教えであります。 修験道の行者を山伏といい、彼らは大自然の中に仏を見出し、自然との対話の中で、声なき声に法身説法の音声を聞き、上求菩薩、下化衆生の精神をもって、山林とそう修行を行じているのであります。【高野山】

修験道は、山を聖域と見、その聖域の奥深くまで分け入って修行することによって、神秘的な力を得、その力によって自他の救済を目指そうとする山岳信仰の宗教です。このようなことから、修験を「山伏(やまぶし)」と言うこともあります。修験との名称は、その字の如く、「修行して験力を顕す道」であるということから名づけられたものです。
修験道は、自然の中でも特に「山」を神聖視してきた日本人古来の山岳信仰に、インドの宗教である仏教や、中国の宗教である道教や儒教など、外来の宗教が結びつき、さらにそこに神道や陰陽道、民間信仰などまでが取り入れられ、次第に形成されてきました。
修験道の教義や世界観、修行方法は、ほとんどの場合仏教、とりわけ密教のものが取り入れられており、そのため仏教や密教についての知識がなければ、まず修験道を理解することは出来ません。しかし、では「修験道=仏教」かというと、そうとは言えません。【役行者霊蹟札所会

日本の山岳信仰,特定の山岳での修行により超自然的能力を習得し呪術などの宗教活動を行う山伏の宗教。役小角を開祖とする。山岳信仰と密教の呪験練行とが習合したものである。行者は,山伏,修験者,客僧と称される。(D)

日本古来の山岳信仰と、仏教の密教、道教などが結びついて平安末期に成立した宗教。役(えん)の行者(ぎょうじゃ)を初祖とする。霊験を得るための山中の修行と加持・祈祷(きとう)・呪術儀礼を主とする。室町期には、真言系の三宝院流(当山派)と天台系の聖護院流(本山派)の二派に分かれた。(B)

日本古来の山岳信仰と密教の呪(じゅ)法・修行法が習合して成立した実践的宗教。その行者を修験者または山伏という。始祖は奈良時代の役行者とされる。平安中期には密教系の行者の中から,山々の回峰修行により霊力を強めようとする験者(げんざ)が台頭し,天台系(本山派)は聖護院を中心に,真言系(当山派)は醍醐寺三宝院を中心に活動するようになった。(G)

修験道は,日本古来の山岳信仰が外来の密教,道教,儒教などの影響のもとに,平安時代末に至って一つの宗教体系を作りあげたものである。このように修験道は特定教祖の教説にもとづく創唱宗教とは違って,山岳修行による超自然力の獲得と,その力を用いて呪術宗教的な活動を行うことを旨とする,実践的な儀礼中心の宗教である。
日本では古来山岳は神霊のいる他界としてあがめられてきた。しかし奈良時代になると外来の仏教や道教の影響をうけた宗教者たちが山岳で修行したうえで,陀羅尼(だらに)や経文を唱えて呪術宗教的な活動に従事するようになっていった。(E)

山林に修行し,密教的な儀礼を行い,霊験を感得しようとする宗教。開祖は役小角(えんのおづの)とされる。山岳信仰に神道・密教・陰陽道(おんようどう)などの諸要素が混成したもの。中世には聖宝を中興と仰ぎ,醍醐寺三宝院を本拠とする真言系の当山派と,増誉を中興と仰ぎ,聖護院を本山とする天台系の本山派が興った。修験宗。(A)

 

密教

生成流転する宇宙の真理の象徴である如来の働きは、人や獣をはじめとし、山川草木一切が生命を燃やし、滅して行くその姿に現れます・・・
牧野に遊ぶ馬や牛、空を飛ぶ小鳥たちの躰・鳴き声と意識の働き一切の中に如来の働きはあるのです。この世の有情・非情なる一切衆生の身・口・意の働きの中に、永遠の生命として大日尊は存在します。【真言密教ホームページ

真言密教の「真言」とは、仏の真実の「ことば」を意味していますが、この「ことば」は、人間の言語活動では表現できない、この世界やさまざまな事象の深い意味、すなわち隠された秘密の意味を明らかにしています。弘法大師は、この隠された深い意味こそ真実の意味であり、それを知ることのできる教えこそが「密教」であると述べています。
密教と顕教の違いは、いくつか指摘できますが、もっとも根本的な違いは、この隠された秘密の意味を知る修行のあり方(修法・しゅほう)にあります。【高野山真言宗】

大日如来が自らの悟りのなかで,自らの悟りを楽しみながら説く,奥深い絶対の真理の教え。「大日経」「金剛頂経」などがその代表的経典。仏教の中で特に祈禱を重視し,そのための呪文や儀式を整備している。日本には空海が伝えた真言宗系の東密と,最澄が伝えた天台宗系の台密がある(A)

大日如来を本尊とする深遠秘密の教え。加持(かじ)・祈祷(きとう)を重んじる。7、8世紀ごろインドで起こり、唐代に中国に伝わり、日本には平安初期に空海・最澄によって伝えられ、貴族などに広く信仰された。空海の真言宗系を東密、最澄の天台宗系を台密とよぶ(B)

秘密教の略称。タントラ教と関係の深い真言乗 Mantra-yāna,金剛乗 Vajrayānaの教説で,7世紀頃からインドのベンガル地方で盛んになった仏教をいう。今日では一般に,ヒンドゥー教におけるタントラ教と区別して,中国で発展した天台宗や真言宗の,法身大日如来の身,口,意の3密を説く教理を密教といい,それらは純正なものであるとして純密などともいう。(D)

仏教の流れの一つで,顕教,すなわち広く民衆に向かって開かれ,その世界観を明瞭な言葉で説く通常の仏教に対し,自己を非公開的な教団の内に閉鎖し,秘密の教義と儀礼を師資相承によって伝持しようとする秘密仏教をいい,象徴主義的儀礼ないし観修法によって宗教理想を達成しようとする点に特徴をもつ。その起源はあるいは仏教以前のベーダの宗教,ことにブラーフマナの祭式神秘主義に求められ,さらにその根底には世界の女性原理的実在性ないしその多様な発現に対する根源的信頼が看取される。(E)

出典 A(大辞林) B(大辞泉) C(広辞苑) D(ブリタニカ国際大百科事典) E(世界大百科事典) F(日本大百科全書) G(百科事典マイペディア) W(Wikipedia))

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